女性の脳は浮気向き?

男女の脳の違いから、女性のほうが複数恋愛に向いているというが、次のように説明できる。

「男女の違いは脳にもはっきりと現れていて、男はハード面を司る左脳(理数系)とソフト面を司る右脳(芸術系)をつなぐパイプが女性より細いので、左右がうまく連絡できないんです。つまり左右どちらか片方の脳しか働かないので芸術に没頭すると理性が働かなくなる。恋愛面でも1人の女性を好きになるとその人しか目に入らない。でも女性は1人の男を好きでも同時に他の男も見ているんです」

だったらどうしてこの世には、浮気する男性がかくも多いのよ? と突っ込みたくなる。

だがそのいっぽう、男女のこのような脳の働き方の違いについては。私自身、実感してもいる。(言うまでもないが、性差よりも個人差こそが決定的なのであって、女ならば必ずだ○○である、というわけではない。) ヘレン・E・フィッシャーの『女の直感が男社会を覆す』にかなり影響を受けたことも確かなのだが、やはり男性は集中力が強く、女性は同時に二つ以上の仕事をこなす能力に優っていると思えてならないのだ。

たとえば仕事などで、集中して取り組んでいる最中、私が口頭で注意事項を追加しても、まったく耳に入っていないのは男性の方である。彼らは「ボー」っとしていたのではなく、「一心不乱」状態だったのだ。女である私には、つい最近までこのことが理解できなかった。

この不器用な一点集中型の男たちにくらべ、女たちはつねに周囲に気配りができる。だからこそホステスが務まるのだ。サンスクリット語の諺に「女は男に話しかける、他の男のほうを見ながら、さらに別の男のことを考えながら」というのがあるようだ。これこそまさに、女性的な能力と言えるだろう。(ついでに、「隣の男の手を握って」というのも付け加えたい気もするが。)

さらに、複数の男性と付き合うのが女性の本能とまで説明できる。つまり、動物のメスは妊娠期間は動けず、獲物を捕ることができないので、自分の餌を保証してくれるオスが必要なんだとか。

「それも1匹だけだと心配なので、同時に複数のオスを確保しておくという本能をもっています。これは人間の女性にも当てはまることで1人の男だけでは、自分を守ってくれるかどうか心もとないわけです。自らの身を守るために本能的に複数とつき合うという結果になりますね」

ということになる。

ちょっといい加減すぎはしないかと思うのだが、人間、自分にとって都合のいい箇所しか読まないから、浮気性の女性たちは、ますます意を強くするだろう!

「そうよ、脳や本能が、その上うにできているのだから、私はそれらに従って、とても自然に行動しているだけなの。」

というセリフが聞こえてきそうである。

そんな女や妻を許せない、最近の行動がどうもあやしいと感じている夫や彼氏はスッキリするために証拠を掴むのが手っ取り早い方法である。どんな結果になろうとも、前には進めるはずである。

だが、女の浮気の証拠を掴むのは意外と大変なので注意深く探ってほしいものである。妻の浮気を取り上げたサイトに浮気している妻の行動が載っていたので参考にしてほしい。

浮気をしている女性も今の関係がばれて修羅場になりたくないのであれば、細心の注意を払って行動してほしいものだ。

 

モテ女は純愛で不幸になるかも

もしもスカーレット・オハラが、アシュレイに恋なんぞしなかったら、腹立ちまぎれにメラニーの兄と急いで結婚して未亡人になることもなかっただろうし、レット・バトラーとも幸福に暮らしてゆけただろう。

他にも、いくらでも男性は群がっていたのに、スカーレッ卜ときたら、よりによって最も結ばれる確率の低い男性を、「純愛」の、しかも片想いの相手に選んでしまったのだ。

もっとも、恋は障害の大きいほど燃えるものだから。スカーレッ卜も叶わぬ相手ゆえに、「純愛」の虜となり、みすみす自ら幸福への扉を閉ざしてしまったのだ。そのあげく、レット・バトラーにも去られてしまった。

名作の続編を原作者でもない他人が考えるのは、ナンセンスではあるが、スカーレッ卜はきっとその後もモテ続けるだろう。もし彼女が、そんなモテ生活を楽しみ、なんならカネに物を言わせてヨーロッパ社交界に入れば、(南部貴族ではなく本物の)貴公子たちに取り巻かれることだろう。

へ夕に「純愛」に関わらず、モテ女は享楽と打算で生きてゆけば、そう悪い人生ではなかったはずなのだ。

『マノン・レスコー』(1731)の同名ヒロインは、その点で大失敗をし、命までも失ってしまった。モテ女が純愛に関わった悲劇の見本みたいな物語である。

まだ若い騎士グリュウは、修道院に送られる美しいマノンに一目惚れし、二人でパリヘ駆け落ちした。「彼女の才知、心情、優しさ、美しさ」がグリュウを魅了したのだが、彼は「もしもマノンが私に貞節でさえあったら、おそらく私は一生幸福であったろうと思う」とあるように、彼女の最大の欠点は「浮気性」だったのだ。

「浮気」といっても、マノンの気持ちはいつもグリュウに向いているようなのだが、彼女は豪奢な生活を提示されると、すぐに身体が移動してしまうのだ。

グリュウにとって不幸なことに、モテ女のマノンの前には、次々と金持ちの誘惑者が現れる。なにしろ駆け落ちから十二日後には、彼女はすでにパトロンを得、その男性からもらったカネを、グリュウとの生活費および遊興費に充てていたのだ。

父親に連れ戻され、この事実を知ったグリュウは失意のうちにマノンと別れることを決心。僧侶になるべく、真面目に学んでいたのだが、またもやその前にマノンが現れ、二人は一緒に暮らし始める。

だがそれも、贅沢な生活ができるあいだのことで、大部分の財産が使用人に盗まれるや、マノンはさっさと次のパトロンの元に去る。

グリュウヘの手紙は「あたしの愛する騎士よ」で始まっているのだが、自分の浮気というか売春的行為については、次のように正当化する。

けれども。哀れな、いとしい人よ、あなたはそう思いませんこと? あたしたちの今のような身のうえでは、女の操なんて、つまらない美徳だって。パンなしで恋が語れるとお思いになって?

もしグリュウがさっさとマノンをあきらめたなら、彼女は羽振りのいいパトロンと、面白おかしい毎日を楽しみ、まあそれはそれで結構な人生を送れたかもしれない。ところが彼女はグリュウヘの愛ゆえにパトロンを裏切り、グリュウもまたマノンを取り戻そうと軽率な行為を繰り返し、結局、マノンはアメリカへ送られることになる。

グリュウは、恋しいマノンとともに渡米するのだが、そこでもモテ女の彼女に、司政官の甥・サンヌレ氏が惚れてしまう。ここでもグリュウとの恋愛がなければ、マノンのことだから、サンヌレ夫人におさまるか、それともさらなる有力者を魅了したかもしれない。

ところが、グリュウがサンヌレと決闘し、相手を殺したと勘違いしたため、彼はマノンと逃亡。疲労のため彼女は死んでしまうのだ。

この悲劇的な結末を見る限り、マノンはグリュウとの純愛にかかわらず、モテ女のゴージャスライフを追求していればよかったのだ。いくらグリュウを愛しても、彼女自身、モテ生活を楽しむ性であることは明白なのだから。たとえ無事にアメリカでグリュウが彼女と結婚できたとしても、モテ女で貞操観念のまるでないマノンが浮気する可能性は大きいと、誰しも思うことだろう。

 

モテるのは嬉しいけれど…

モテ女は得だが、あくまでこれは、女性が自分の目的のために男性を巧く利用する技を心得ている場合だ。そんな気もなく、ひとりの男性を愛し、彼ひとりに愛されることで満足している女性にとっては、モテる事態も、そうありがたくないかもしれない。

ただし、この世はよくしたもので、(私の知る限り)この類の誠実な女性は、学生時代には複数のボーイフレンドに囲まれていても、結婚後は徐々に「モテ」オーラが消え、やがて小太りの中年オバサン(マダムといった感じではなく、官能的要素皆無の女性)と化していることが多い。まあそれが、彼女らの、幸せな結婚生活の証ともいえよう。

いっぽう男性は、女性ほどにはモテることで得な人生を歩めるわけではあるまいと思われるのだが、やはりモテ願望を持つ男性は多い。

そこでさらに、先の質問「モテる男性って得ですか?」を、モテそうな男性に会うたびに浴びせてみた。(だって「モテない男」にこの問いは残酷すぎるから。)

これに対して返答の第一声は異口同音に、

「僕はモテませんよ」

で、本当にモテるのか、あるいは私が思うほどにはモテていないのかは、その発言の続きでだいたいわかる(ような気がする)のだ。

まず、予想に反してたいしたことのない男は、「そりゃ得ですよ。嬉しいじゃないですか」と、先に紹介した熟年紳士と同じく、手放しで百パーセント肯定するきらいがある。

それに対して本当にモテている男性は、嬉しいと同時にうっとうしさも経験しているので、「楽しい部分もあるけれど、面倒なこともある」と、ちゃんと現状認識ができている。

さらに、「フラれるよりフルほうが辛い」なんて言い出したら、もうこれは正真正銘のモテ男だ。

「男性社会では男同士の嫉妬も強いから、へ夕に女性にモテていると、『アイツ、ろくに仕事もできんくせに』と、睨まれて損することのほうが多いかもしれんなあ」とは、某一部上場企業副社長。いかにもモテそうなロマンスグレーのオジサマだ。

「でも、僕がモテるのは肩書きのおかげでし。」とは謙虚だが、あのねえ、モテない男はどんな肩書きがあってもダメなのよ。それに男性の場合、肩書きなしでモテるのは、せいぜい二十代までだ。

ともかく、モテる男は、男性社会では歓迎されないというのは、すごくよくわかる図式だ。とくに上司が「モテない男」なんかだったら、いったいどんな目に遭わされるやら。

「英雄色を好む」というが、それはあくまで「英雄」だからモテてもOKなのであって、そうでなければ、仕事にまでイチャモンがつけられかねないのだ。

モテ男は、くれぐれも御用心あれ。そしてモテ女だって、「純愛」というワナにはまるかも。

 

浮気するのはモテ女

モテる女は浮気する、と断定はできないが、浮気したくても相手の見つからない女では、話にならない。

まずそれ以前に、「浮気」するためには、いちおう「本気」の対象とみなされうる夫やパートナー、恋人、彼氏のいずれかがいる、という前提条件を満たしている必要があるのだ。

したがって、浮気する女性には、モテ女が多い、いやむしろモテなければ浮気はできない、というのは、いわば自然の摂理だ。

それに浮気願望のある女性は、結婚していたって、モテるべく努力するに違いない。(ふつう、浮気したい男は、モテようとスポーツジムに通って下腹をひきしめたり、服装を整えたりと、それなりに努力するのだから、女性だって同じことだ。)

もちろん夫や彼氏の心をつなぎとめるために、自分を磨くという女性もいるだろう。

「亭主の好きな赤烏帽子」じゃないが、特定の男性の特殊技能やマニアックな趣味に付き合うべく、その類の教室などに通うのならともかく、ダイエッ卜やエステ、英会話、料理などなら、他の男性に対しても、充分に有効な魅カアップの「自分磨き」だ。

つまり、一人の男性のためにそんな努力をすることは、結果的に、他の男性にとっても好ましい女性となりうる。それもあって「モテる者はますますモテる」という、なんだか金持ちの株式投資みたいな現象が生じるのである。

だから、妻や彼女に浮気されたくなかったら、他の男性からは見向きもしてもらえないような女性を選ぶことだ。(これはもちろん女性にも言えることで、夫や彼氏に浮気されたくなければ、モテない男に限る。まあそんな男性でも、フーゾクで遊ぶことは大いにありうるから、必ずしも貞操が守られるわけではないが。)

そりゃ、モテるタイプの女性で、愛するひとりの男性に忠実、という夢のような話だって、現実にはあるだろう。だが、このタイプの女性は、いつも複数の男性に狙われているということを、彼女の夫や彼氏は覚悟しておくべきだ。

モテ女に挑戦しようという男性は、彼女に夫や彼氏がいることなんぞ、まったく気にしないものだ。魅力的な女性はモテるし、男性たちが放っておくわけがない。そこで彼女が結婚したり、特定の男性と密接な間柄になっていることに、なんの不思議があろうか。

そんなことで遠慮していたのでは、モテ女を手に入れることは絶対にできない。

そもそも男と女なんて、未来永劫、その仲が良いなんてことは、まず、ない。たとえ仲は悪くなくても、仕事の都合で遠距離恋愛や単身赴任、残業続きや出張ばかりと、女性が寂しい思いをしていることだってある。それこそが、浮気を仕掛けるチャンスだ。モテ女へのチャレンジャーたちは、いわゆるプレイボーイが多いから、ときにはゲーム感覚で、積極的に誘う。

ゴージャスなレストランでの食事や、高価なプレゼントが用意されていることもあるだろう。いくら誠実な女性でも、成り行き次第では、浮気への道を歩みかねない。

 

女心の秘密がわかる

ともかく女性の「浮気」について、文学、映画、演劇、世相、そしてときには身辺の話も織り混ぜながら論じたいのである。

はたして現実問題として、女性の浮気の絶対数が、最近、増加しているのかどうかはわからない。だが、マスコミやインターネッ卜のサイトなどで、以前にくらべてはるかにその類の「告白」など、女の浮気に関する情報が増えたことは事実だ。

また性的な解放感や経済的自立のおかげか、自分のセックスについて語る女性も多くなり、近頃では、女性におけるモテたい願望も強くなってきたようだ。

モテるとは、すなわち複数の男性に好かれることだから、浮気性の傾向と無縁ではあるまい。

それにしても、いったい夫や恋人のいる女性の心をとらえ、浮気に導くのは、どんなモテ男なのか。おそらく女性心理を的確に理解できるつわものなのだろうが、女性における浮気心がわかれば、世の多くの男性諸君にとって不可解な、女心のヒダまでわかるかも。

女心の核心は、その浮気心に隠されているように思われてならないのだ。

そうそう、モーツァルトも女性の浮気心をオペラのテーマにしている。「コジ・ファン・トゥッテ」(女はみんなこうしたもの)-彼女らは状況によっては、結婚後、浮気しかねない女たちだ。でもなんだか、陽気で、楽しそうでもある。

 

「浮気」の定義

「浮気」という言葉の定義であるが、『時代別国語大辞典』によれば、室町時代では「浮気」あるいは「上気」は、「心がうわついて、じっくりとした思慮分別に欠けるさま」、「またその上うな粗忽な性質」を意味したようだ。

現在でも、このようなことが「浮気」の第一番目の意味として説明されている。ちなみに『日本国語大辞典』では、次のようである。

①うわついて落ち着きのない性質や状態。心がうかれて思慮に欠けている状態。うわっ調子。

②陽気で、はでな性質や状態。ぱっと人目につくさま。

③気まぐれに異性から異性へと心を移すこと。決まった妻や夫、婚約者などがいながら、他の異性と恋愛関係を持つこと。また、そのさま。好色。多情。

いずれにも十七世紀の文例が挙げられているが、もちろんここでは、この③についての「浮気」を考えたいのだ。

ただし、この「恋愛関係」という表現も、いささか不明瞭である。『角川古語大辞典』では、四番目の意味に「定った相手があるのに、ほかの相手にも思いをかけ、色恋をすること」とある。

「色恋」とは『大辞林』で、「男女の間の情事や恋愛」と、これまたはっきりしないが、ここでは「肉体関係」、より具体的にはディープーキス以上の性的関係と勝手ながらみなしたい。

まあ、大人の世界なら、ディープーキスはセックスを前提とした行為と考えられるのではないか。(というか、私としては、セックスしてもいいと思うくらいの相手でなければ、ディープーキスなんてしたくない。(いや、セックスはいいが「キスは嫌」という女性もいるらしいが。)

おそらく、ディープーキスまで進んだら、物理的になんらかの障害のない限り、現代日本においては、セックスに至ることが多いと思われるがいかが?

いやあ、「肉体関係」といえば、セックスでし上、いくら「ディープ」でも「キス」なら不貞行為に当たらないIこんな反論もあるだろう。だが、それなら、何をすれば「セックス」なのか。

プレイボーイにおいては、男性性器を女性性器に挿入しなければいい、挿入しても射精しなければいい、射精してもコンドームをつけていれば(つまり精子が女性の体内に入らなければ)いい、と、「浮気」のガイドラインが、めちゃくちゃだったりするのだ。あるいは、べッドインはしたものの、緊張しすぎて……とか。だがこれも、私は「浮気」に含めたいと思う。

また、よく使われる詭弁のような弁解、つまり「これは浮気ではなく本気」と言って、自分の誠実な愛情を表そうとするむきもあるが、精神面がどうあれ、「定まった相手」と別れないで、他の異性(ときには同性?)とのディープーキス以上の関係は、「浮気」と呼ぶ。また「本気」どころか、まったく「気」と無関係の行きずり、もしくは売春的行為も、「浮気」に入れる。

さらに、「男性の場合は浮気で、女性の場合は不倫」という認識が世間にあるようなことを、『オシドリは浮気をしないのか』で山岸哲は述べているが、ここではそのような性的区別(差別?)をしない。